今日、ニュースで赤穂の祭りの様子が流れてきました。
画面を見ながら、しばらく手を止めて、物思いにふけってしまいました。
赤穂出身の私にとって、忠臣蔵は子どもの頃から身近な存在です。
祭りの日は学校が休みになり、
街全体が少し特別な空気に包まれていたことを、今でもよく覚えています。
当時は、忠臣蔵の時代劇が毎年のようにテレビで放映されていました。
年末になると、今年はどんな配役なのか、どんな演出なのか、
家族でテレビを囲みながら自然と見ていたものです。
家づくりの仕事に携わって早二十数年に、
現場監督~スタートしたキャリアも、
営業、設計、アフターメンテナンス、工務店経営と、
日々学びながらより良い家づくりを実現するために奮闘中!!
ご興味のある方は過去ブログも
遡って読んでいただければ大変嬉しいです!!!

その中で、今思い返すと不思議なのですが、
私が強く印象に残っているのは、
義士が大工に弟子入りして、
吉良邸の間取り図を手に入れようとする場面です。
「討ち入りに、そこまで間取りって必要なん?」
子どもながらに、そんな疑問を持ちながら見ていました。
塀の内側はどうなっているのか。
部屋の配置は?
廊下は?
中庭は?
隠し部屋や、隠し通路があるんじゃないか。
義士たちが右往左往しながら、
必死に屋敷の情報を集める姿に、
いつの間にか物語そのもの以上に、
「建物の構造」や「空間の裏側」に強く惹かれていた気がします。
今思えば、
それは歴史ドラマというより、
一種の建築ミステリーを見ていた感覚だったのかもしれません。
大人になり、
工務店として家づくりに携わるようになった今、
間取りを考える仕事の中で、
ふとあの頃の感覚を思い出すことがあります。
動線の工夫。
視線の抜け。
見わからないけれど、
実は使い勝手を左右する小さな仕掛け。
派手な隠し通路をつくるわけではありませんが、
「住んでから気づく心地よさ」
「説明されて、なるほどと感じる工夫」
そんな小さなサプライズを間取りに忍ばせたい、
という想いは、
もしかすると忠臣蔵で見た
隠し部屋や隠し通路へのロマンが原点なのかもしれません。
忠臣蔵は、忠義や覚悟の物語であると同時に、
人が命をかけて動いた空間の物語でもあります。
だからこそ、時代を超えて、
今もこうして心に引っかかり続けているのだと思います。
祭りの記憶、家族で見た時代劇、
そして間取りに惹かれた子どもの頃の感覚。
それらが、今の家づくりにつながっていることを、
赤穂の祭りのニュースを見ながら、改めて感じました。